どうも、幸寛です。
北海道は雪が降り、昨日はマイナス6度の帰路で凍えていました。
鍋の季節なので、そろそろ暖かいモツ鍋を食べたいなぁ。
さて、今回のテーマはネガティブケイパビリティ。
聞いたことがある人は、こちらを通り過ぎてください笑。
2019〜2022年の3年間を通じて、最も自分の中で変化したものはネガティブケイパビリティの保有である。
一般的に、物事を決めることが良いとされている。
その方がわかりやすいし、その方がスッキリする。
「結局どうしたいの??」「なんなの??」
ってなることが、昔は多かった。
決まっていない状態が不安というか、気持ちが悪い。
だから、決めて前に向かって進む。
そんな感じで3、4年前は生きていたと思う。
決めてしまうことで、進むべき道で本腰を入れて、全力で進んできたような感じ。
でも、これだけではどうしても前に進まないことがとても増えてきた。
そんな時に、出会った言葉が「ネガティブケイパビリティ」である。
ネガティブケイパビリティとは、Wikipediaでは
“「消極的能力」「消極的受容力」「否定的能力」など数多くの訳語が存在する“
と記載されている。
自分の中で、“ネガティブケイパビリティ”の意味は「決めつけない力」と捉えている。
決めつけない力。
「結局、それってどっちがいいの?」
▶️ どっちもいい、悪いはある。今まさに、今日の判断で言えば、
こっちかもしれない。ただ、条件が変われば変わるよね。
「?、何が言いたかったの?」
▶️ その観点で対象を考えた場合に今の状況はどうなるのか。
そして、今後はどんな可能性を秘めているか。
「結論は何??」
▶️ 結論は、とあるタイミングで決めてしまうもの。
決める場合のリスクを出し切っているか。
本当に今判断しなければならないものなのか。
判断した内容はどこまで影響を与えるのか。
決めつけた方が判断も早いし、動きやすい。
シンプルな方が人には、伝わりやすい。
でも、本当に決めた方がいいタイミングは、今なのだろうか。
だから何かを判断する際には、一方的にいいことだけを並べてはいけない。
その視点からの悪い内容を網羅しなければ、適切な判断はできない。
自分は検討に対して盲目的な部分はないか?
このように考えると、自分の案に対する反対意見は、検討の網羅性を上げられる。
■ネガティブケイパビリティの事例
(1)「人に対する理解」について伊集院光さんの言葉
※すいません、正確ではないです。
“その人への理解を「諦める」ということは「分断」を産む。“
“そして、その人への理解に「答えが出た」という場合には、「偏見」を産む“
“最も大切なことは「問い続ける」ことで、その人への理解がようやくできる”
これもネガティブケイパビリティの一つだと捉えている。
本当に物事を知るには、問い続ける必要がある。
(2) 経営判断
どちらがいいのか、悩み尽くす。
どちらも良い場合と、どちらも悪い場合もある。
判断が遅れても、危機的状況になる。
判断が早すぎると、リスクを洗い出せていない可能性もある。
(3)今起きていることは、悪いことなのか良いことなのか。
・コテンラジオというPodcastの番組がある。
その内容を聞いていると、世の中に正解はほとんど無いように感じる。
短期的に凄い良いことは、長期的に悪くなる。
短期的に凄い悪いことは、長期的に凄い良くなる。
例えば、南アメリカの資源がたくさん取れた場所では、短期的に炭鉱や鉄鋼業が栄えることができた。1次資源に頼った結果、資源がなくなってからは、廃れてしまう。
一方、北アメリカの資源が何も無いところでは、頭を使って工夫することでしか仕事を生み出すことができなく、苦労して産業を確立していった。短期的には何もなかったため、1日過ごすにも大変な状態。ただ、現在では、シリコンバレーなどの成長産業として、大きな飛躍ができている。
どの軸で考えるかによって、良い悪いが存在する。
今心地よければ、後で悪いことが大きるかもしれない。
今苦労していたら、後で良い結果につながるかもしれない。
何が良いとか悪いとか決めつけることは、単なる思いこみなのかもしれない。
■結論
ブログ上では、いったん、結論を出そうと思う。
複数の視点からロジカルに考えて、決めつけない力を持てば、
心地悪さがあるものの、意見に対しての議論がしやすくなる。
ある意味、教育の観点でも複数の結果が存在することをベースに学ぶことができていたら、可能性を広げることはできると思う。
同じ作業をするにしても
「これで良いんでしょ?」
「これで良いのだろうか」
どちらの考えでやると幅が広がりそうか、視座が高くなりそうかは一目瞭然である。
“ネガティブケイパビリティの保有ができないことは、知性が低いからである“
っという言葉を聞いたときには、ハッとした自分もいる。
こんな考え方があるんだなぁ程度に読んでいただければ幸いです。